笠原 出  Inter-medium
Fluffy Limbo / The Last Judgement/キャンバスに油彩、箔/606×606mm/2018年 © Izuru KASAHARA

笠原 出  Inter-medium

さまざまな表情を持つ「空」を背景に、空間に散らばる粒子のように予言やメッセージとして使われてきたイメージがドットで表され、「笑う霊素」がふわふわ現れては消える - 。金や銀の「笑う霊素」は“ふわふわした不確実な状態/場所”、つまり現世と常世の境界に私たちの意識を向かわせます。そして「笑い」の意味や行為、Medium(触媒) としての機能、そこから派生する存在とは?という問いも観るものに投げかけます。特殊照明作家の市川平氏とコラボレーションする展示にもぜひご注目ください。

*Fluffy Limbo ( 作品タイトル):ふわふわした不確実な状態/ 場所、 どっちつかず、宙ぶらりん
*常世( とこよ):永久に変わらない神域。死後の世界でもあり、黄泉もそこにあるとされる。日本神話や神道の重要な二律する世界観の一方。 もう一方は「現世( うつしよ)」

English/日本語

「ふわりんぼ」は居残る  (三井 知行、川口市立アートギャラリー・アトリア学芸員)

最近、哲学を援用した美術家の文章をあまり見なくなったと思っていたら、笠原出がライプニッツを持ち出して自作を説明していた。近作の発想源としては映画や音楽、土着信仰への興味などが主と聞いていたせいか意外に感じた。
ここ数年、笠原の「ふわりんぼ/Fluffy Limbo」と題される作品は、ペインタリーな平面の上に、浮遊する「笑う霊素」*のパターン化された金色銀色のシルエットが表れる二層構造だったが、今回の出品作では第三の層が挿入される。その起点ともなる《Fluffy Limbo / Konohanasakuyabime》ではペイントの層に2つの部分があるかのような印象だが、新作では既存のイメージを網点の写真画像にしたような独立した層が、ペイントと「笑う霊素」の間にはさまれている。
これらの層は、それぞれ「(モダニズム)絵画」「複製技術・芸術」「工芸」と取れなくもないが、注意すべきは各層が互いに影響せず無関係でいること、にも関わらず全体としてはある種の統一が取れていることである。20世紀美術の心理学的・暴力的・分裂症的な衝突や並列ではない、特筆すべき「無関係な統一」。これをライプニッツの「窓がない」ために互いに影響しないモナドと、神の定調和による宇宙の統一になぞらえたら大袈裟だろうか。
視点を変えて無関係なはずの3つの層の順序について考えてみよう。作品は通常の視線-主体としての我々が、客体=外界、さらにはその向こうの異界をまなざす-とは逆の視線で描かれていると作者はいう。確かに辺獄やニライカナイ(の常世)など「向こう側」と関連のある「笑う霊素」が手前、現実とあの世の接続領域に属する写像が中間、現実に関係するペインタリーな部分が奥という、異界の側からこちらを見る方向である。この方向転換には、彼が工芸出身の美術家であることも影響している-上記のような作品の構造が工芸の側から見たモダニズム絵画への視線と解釈になり得ている上に、実用品ながら大部分の労力を装飾的な仕上げに割かざるを得ない工芸の特徴が、作品に見られる「ある種の統一」に作用していると考えられる。
視線の逆転、世界の見方の転換は現代美術において王道と言えるが、彼の場合それが知的なゲームではなく、むしろ「面白み」を排除した機械的な操作によってなされるが故に、逆説的に「統一」に達していると筆者には思われる。
と、ここまで書いて、初期の立体作品では、「目がない笑み」によって視線の逆転が目指されていると気がついた。
だから「ふわりんぼ」は居残り続けるのか…。

*霊素:元素や素数といった根本的であり、整除できない事象という意味の造語

Fluffy Limbo / Konohanasakuyabime (White)/キャンバスに油彩、箔/530×455mm/2015年  © Izuru KASAHARA

Fluffy Limbo / Konohanasakuyabime (White)/キャンバスに油彩、箔/530×455mm/2015年
© Izuru KASAHARA

期間
2019年 10月3日(木) – 10月29日(火) 12:00-19:00 (最終日は-17:00)
※期間中の水曜・日曜・祝日は休廊いたします。終了しました
場所
GALLERY TAGA2
オープニングパーティー
10月3日(木)18:30-20:30
お問い合わせ
info@gallerytaga2.com  田賀