佐野 陽一 思惟の池 Ⅱ  4 / 2 - 4 / 27
esquisse 8×10inch 発色現像方式印画 2013-14年

佐野 陽一 思惟の池 Ⅱ  4 / 2 – 4 / 27

写真家 佐野陽一の個展を開催いたします。
本展は、昨年開催した個展「思惟の池」の続編として、作家にとって特別なある池をモチーフにした作品約8点を展示します。ギャラリー壁面を余白として効果的に使うことで、前回よりもさらに密度のある内省的な空間に作り上げます。
出展作品のうちの2点は、約50×60㎝の大きめの作品で、これは作家にとって久しぶりの試みでもあります。光の印象、光の量感、そして見るということ、ピンホールカメラの手法で制作をつづける佐野陽一の世界をぜひご高覧ください。

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アコースティック、蓄光、amphoric − 佐野陽一をめぐる3つの言葉
(梅津 元、埼玉県立近代美術館主任学芸員/芸術学) 

 光が響いている。まるで音のように。佐野陽一の今回の出品作品を見ていると、対象を把握しようとする認識作用とは異なる次元で、視線が円環状ないし螺旋状の運動へと誘われ、球体状のヴォリュームもしくは球体の内部の空洞性を感じることがある。光が音のように魅力的に響くのは、この空洞においてである。以下では、このような佐野の写真の魅力に接近するために、3つの言葉を提示したい。

[アコースティック]
上述の視覚経験は、ピンホール・カメラの原理によってもたらされる。円環、螺旋、球体という印象は、画面上のすべての光が、カメラの小さな穴を経由しているという事実に由来する。しかし、佐野の場合、この穴は針穴よりも大きく、ピンホール写真とは言い難い。そこで、レンズという集光装置を用いない撮影原理に注目して、「アコースティック」という言葉を提案したい。マイクという集音装置による電気的増幅に頼らない音楽を、アコースティックと呼ぶことからの連想である。空気の震えをそのまま光に置き換えてマッピングしたかのような、人工的な操作性を感じさせない佐野の写真は、「アコースティック写真」という感覚に満ちている。

[蓄光装置]
この連想から、蓄音機のラッパのような集音装置から得られた空気振動を、直接、針先でレコード盤に刻むアコースティック録音に興味をひかれた。このようなマイクを使わない録音装置をヒントに、レンズを使わないカメラを「蓄光装置」と呼んでみたい。光を遮蔽した空洞に、小さな穴を経由して、対象それ自身が反射している光が届き、蓄えられた光が画像を生成する。蓄光装置までの距離は被写体すべてで、例えば、葉の一枚一枚で異なっており、どんなにわずかでも、光が届くまでの時間も、原理的には異なっている。集光装置としてのレンズは、その機能を発揮するため、多様な数値によって時間を支配し、この事実を抑圧する。しかし、時間が主役の「蓄光装置」を用いる佐野の写真では、異なる距離にある星から異なる時間をかけて届く光を同一平面においてとらえる「星座」と同じように、生成される画像が、空間と時間を孕んだ「光のマッピング」としての魅力を湛えている。

[amphoric]
最後に、瓶に息を吹き込むだけで音が鳴る、その音に似た振動を意味する「amphoric」を提示したい。瓶に息を吹き込むと、瓶(=空洞)の形、開口部(=空気の挿入口)の形、吹き込まれる呼気の強さと量など、いくつかの条件が整った時だけ、音が鳴る。蓄光装置も、穴から光が差し込むだけでは、像は生成しないが、カメラ(=空洞)の形状、穴(=光の侵入口)の形、光の強さと量など、いくつかの条件が整うと、魅力的な像が生成する。佐野陽一が「蓄光装置」によって生み出す「アコースティック写真」では、光は、音のように、「amphoric」に響いている。ならば、佐野にとっての撮影とは、音の響きを求めて瓶に息を吹き込むような仕草なのだろう。すべてをコントロールすることはできないが、光を響かせる方法は知っている、そんな素振りの。

期間
2015年 4月2日(木) – 4月27日(月) 12:00-19:00 (最終日は-17:00) 終了しました
※期間中の水曜・日曜・祝日は休廊いたします。
場所
GALLERY TAGA2
オープニングパーティー
4月2日(木)18:00-20:00
お問い合わせ
info@gallerytaga2.com  田賀