4/3 – 4/28 佐野 陽一 思惟の池

4/3 – 4/28 佐野 陽一 思惟の池

光を見、それを表現することは、印象派とりわけモネ以降のさまざまな形で行われてきた。
そして、それは単に絵画だけの問題ではなく、印象派のような写真や、ストラスブール大聖堂に射し込む光を「見る」、「観る」そして「視る」というさまざまな言い回しを使って抽象彫刻に向かったジャン(ハンス)・アルプのように彫刻にまで派生していく。しかし移ろい行く光をどのように留めおくのか。それこそが表現者に与えられた課題のひとつであるだろう。その困難さを抱えつつ、対象を、世界を自らの言語で語り継ぐこと。
佐野陽一の眼差しは、そのような移ろいを、対象とそれを取り巻く空気を直感的に捉え(「直観とは想像力だ」(シラー))、紡ぎだしていく。そしてその揺らぎを省察し、豊かな表現言語に置き換える。その結果さらに、不可視のものが暴きだされていく。この、向こうとこちら、そのやり取りが充溢しており、それだからこそ彼の作品は見る側の人間に刺激を与え、さらなる想像力を生み出し、新たな世界を、新たな物語を作り出してくれるのである。

(美術評論家 岡村多佳夫)
展覧会について (佐野 陽一)

物心がついた頃から、いつもその池のある公園に行っていました。
祖父に連れられて、手を引かれて行ったのだと思います。
都内とは思えない鬱蒼とした森に囲まれたその池には沢山の野鳥が集っては囀り、
夕方には何匹もの魚が水面から宙へと跳ね上がるのを見ることが出来ました。
また、夏の盛りの午後に鳴いていた蝉の合唱は今も脳裏に鮮やかに蘇りますし、
友だちと朝早く起き出して、釣りに出かけると、水面に霧が立ち込めて、
冷んやりとした空気に包まれて、見慣れた昼間とは異なる水辺の凛とした表情に驚かされました。

そしていつしか、現代美術というものに興味を持ち始めた頃、一人の美術家の作品に
その池の風景を見つけた時はとても惹きつけられました。
馴染みのある場所だったというだけでなく、作品の制作年を見ると、
まさに自分が毎日のように通っていた時期とぴったり重なるからです。
もしかしたら、ここで作者と遭遇していたのじゃないか、何か言葉を交わしたのじゃなかったか、
そんな、ありえたかもしれない事態を想像することが、今回の制作の一つのモチーフになりました。

これまで、作品については個人的なものを出来るだけ排除しようとしてきました。
そのため、光による記述によって対象を描写する写真という表現方法は潔く、自分にとっては最適だと思っています。例えば、イメージをつくるという同じ目的でも、絵を描くこととは異なる作り手の関わり方に興味を持っています。

しかし随分と遠回りをしてしまいましたが、今回の個展ではその池をモチーフにすることにしました。
カメラにまつわる仕事を生業としていたこともあり、祖父宅の居間のガラスケースにはいつも沢山のカメラが飾ってありました。
考えてみれば、そんな場所で幼少の時期を過ごしていたことが、今自分がしていることに繋がっているのかもしれません。

その池をモチーフにすることは、祖父のこと、自分のこと、
何より写真のことに思いを巡らせることに他ならないように今は感じ始めています。

期間
2014年 4月3日(木) – 4月28日(月) 12:00-19:00 (最終日は-17:00) 終了しました
場所
GALLERY TAGA2