清水 美三子  透明の深度( 10/6 – 10/31 )
glassⅣ-2 リトグラフ 720x540mm 2016年 © Misako SHIMIZU

清水 美三子  透明の深度( 10/6 – 10/31 )

版画家 清水美三子の個展を開催いたします。
本展では、グラスに挿した草花、PETボトルなど、身近にあるものをモチーフにしています。
これら透明な物質の光の反射に焦点をあてて描きながらも、対象を越えて意識が解き放たれていく感覚を表現します。リトグラフ作品約15点を展示予定。ぜひご高覧下さい。

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幻影と現実――《glass Ⅳ》のディスクリプション ( 北澤憲昭 美術評論家 )

青の階調が寡黙に語りかけてくる《glass Ⅳ》の画面は、中心から外縁へ向けて三つの段階から成る。
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中心に位置づけられているのはモティフだ。なかばまで水を満たした透明なガラス瓶に、葉を付けた草本の茎が投げ込まれている。
 モティフを形成する単色の濃淡は、水墨のおもむきを画面にあたえ、均等な背景は装飾性に富む日本絵画の伝統的な地の在り方を連想させるのだが、再現的な造型は西洋近代絵画の手法に基づいている。すなわち、ここには異なる画法の重複、あるいは、その間の翻訳の手続きが見いだされる。
 瓶の内部では、行き交う光が、ドローイングの速度感をともないつつ、ガラスと水と植物のあいだで青の反射を繰り返し、さながら光の小編成弦楽曲を聞くようなおもむきを呈している。しかし、光の動きは、全体として瓶の輪郭によって限界づけられている。つまり、瓶の内部に収まるわきまえを備えている。だから、それが画面の静謐を破ることはない。
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次の段階は、背景を成す部分だ。背景といっても、そこには何も描かれていない。つまり、モティフを位置づける座標がない。シンプルな緑みを帯びた縦長の長方形を成す面が刷られているだけのように見える。こうした現われが、画面に静けさをもたらす最も大きな要因となっているのはいうまでもない。
 とはいえ、瓶のなかの光の動きが背景を共振させることで、そこに微妙な空間性が生起しているのも見逃せない。そればかりか、瓶の輪郭や植物の縁をたどってゆくと、背景とガラスの境のところどころに白い空白が僅かにもうけられており、植物の部分では青の色材が葉の輪郭を越えて背景に侵出しているのが目に止まる。こうした有るか無きかの細部の繊細なしつらえによって、モティフ自身が空間を――たとえば、瓶が向こう側に回り込む空間性を――発生させつつ、みずからを、背景のなかに、つつましやかに位置づけているのである。
 瓶の底部が背景の下端で截然と切り取られているのも大きな造型的価値をもつ。横にまっすぐ走る切断線が、水面と平行に想定される描かれざる地平の存在を暗示すると同時に、直立する画面の平面性を強調しているのだ。
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画面最後の段階は、余白である。この部分では、支持体の紙が剥きだしの姿で画面を四角く取り囲んでいる。版画において、これが、きわめて重要な造型要素とされてきたことはいうまでもない。カントは、列柱を建築のパレルゴンと称したが、版画の余白は、まさにそうした意味でパレルゴンと呼ぶにふさわしい。余白は、画面とその外部の中間に位置しているわけだ。これにかんして注意を引くのは、瓶の外に突き出た植物の葉が、このパレルゴンにまで達していることだ。しかも、瓶の外に突出した葉の部分は、瓶の内部のそれに比べて平面性を強め、インクの物質性が強調されている。この葉は、パレルゴンとしての余白と相俟って絵画的幻影と現実とを架橋するはたらきを担っているのである。また、余白にかかる葉は、背景下端の真一文字の切断と相俟って余白に窓枠のような趣を与え、画中画的効果によって空間の幻影を強めるはたらきもしている。
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わたしたちは「幻影と現実」と、かんたんに口にする。しかし、両者の境は、はたして、それほど明確なのだろうか。現実と幻影を截然と分かつことができるのだろうか。じつは、「現実」という名の幻影と、「幻影」という名の現実とがあるばかりなのではないのだろうか。清水美三子の《glass Ⅳ》は、イメージが跳梁跋扈する時代の奥底から、わたしたちに向けて、静かにこう問いかけているように思われる。

期間
2016年 10月6日(木) – 10月31日(月) 12:00-19:00 (最終日は-17:00) 終了しました
※期間中の水曜・日曜・祝日は休廊いたします。
場所
GALLERY TAGA2
オープニングパーティー
10月6日(木) 18:30-20:30
お問い合わせ
info@gallerytaga2.com  田賀